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母が作り上げる自律分散型社会~なぜ縄文人は1万年以上も持続的な暮らしができたのか?~

 

 

1万年以上も暮らしを持続できた縄文人。なぜそんなことができたのでしょうか。

先住民(ネイティブピープル)は自然とのつながりを大切にし、リスペクトしてきました。

sustainablemj.hatenablog.com

けど、価値観だけで1万年も暮らしを続けることはできません。食糧事情やコミュニティの運営、文化など、持続的な暮らしにふさわしい形があったはずです。

縄文人に学ぶ』(2008)は縄文人社会について書いてくれています。

縄文人がなぜ1万年以上暮らしを持続できたのかをまとめてみました。

 【縄文人の暮らしと食糧事情】

縄文人というと髭ぼうぼうの野蛮人を思い浮かべる方が多いのでは?縄文人は「僕らの祖先」であり、「山や海の幸に生きた人々」で、その季節性の豊かさから「定住生活をしていた」と考えられます。ワラビ、ハマグリ、タイ、アユ、イノシシなど僕らと同じ食べ物も食べていました。

 

縄文人がいた当時の日本列島は、いまの関東平野大阪平野など大平野のほとんどが水面で、盆地も大半が湖沼でした。低湿地帯は害虫や病原菌が多く、土砂崩れや洪水も珍しくありません。人間が住めるのは山ぐらいで、少人数に分かれ、海の近くの尾根や丘隆の高みに住まざるをえませんでした。食料量は多くないものの、山には四季の変化と多様な動植物があります。彼らは半径3kmぐらいのテリトリーを作って、海と山の幸を手に入れて生きていました。

 

そこの暮らしで主導権を握ったのは女性でした。山での暮らしは「狩猟・採集型」です。食べ物を手に入れるには、そのテリトリー内で木の実を集めたり、貝を拾ったり、罠や落とし穴を創ったり、簗や筌など罠を仕掛けたりしていました。腕力ではなく、手先の器用さや知恵を絞ることが大切だったんですね。

「農耕中心史観」からすると、狩猟・採集は農耕より原始的な生産行為とされていますが、その採集が1万年もの間生活を支えていました。彼らは自然の知識を蓄え、気候変動で食糧事情が変わっても工夫して対応しました。おそらく、食べ物を取り尽くさないように何を取って、何を残すかというノウハウを貯め、持続的に自然と付き合えるように考え抜いていたと思います。

 

 

 

 

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出典:茨城県立歴史館・特別展「縄文のムラ弥生の村」展示図録より 

 【母が支えた縄文社会~母系制社会~】

◆母が力をもつ母系制社会

◆村が点在していたのに、人・モノの交流が盛ん

の2つが縄文社会の特徴といえます。

縄文人は血族で集まり、各々がバラバラに小規模な村を作り、暮らしていました。そこでは女性が家のことを取り仕切り、力を持ちます。血族で集まったコミュニティでは何か問題が起こっても年長者が丸く収めやすく、情でつながっているため安定しやすいです。血族が集まるため、コミュニティは安定しますが、一つ困ったことが起こりました。若い男女の出会いがなかったんですね。

 

若い男性は女性と出会うため、他の村まで求婚にでかけました。求婚するために手土産でヒスイなど貴重なものも持って行きます。ヒスイの原石は日本では新潟県の姫川上流でしかとれません。にもかかわらず、全国各地の縄文住居跡からヒスイの原石が発見された理由がこれです。

当時は一般に同棲を伴わない妻問婚というものが行われていました。古文の授業でよく出てきた平安貴族男性が女性のもとに夜な夜な通っていたあれみたいなものですね。その男女の関係性は一過性のもので、女性に子供が生まれても男性は認知しませんでした。女性は産んだ子供をすべて自分の子供として、その家で育てます。

結果として、母が強い母系制社会ができあがりました。育児と家の持続が中心になり、その家や村の安定が続いたと考えられます。

おもしろいのは、父系制社会だとコミュニティが点在した状態では続かなかったと、上田氏が考えているところです。父系制社会だと、強い男性を中心に子供が増え、その勢力が拡大します。テリトリーの拡張と分裂が起こりやすくなり、各地のコミュニティ間で争いも増えていたでしょう。

各コミュニティがそれなりの規模で安定していたからこそ、縄文時代全体が安定し続けたと思います。男性性と女性性が社会の在り方を左右するのはおもしろいですね。

 【自律分散型社会=持続可能な社会の形の1つ】

縄文時代の社会は、まさに自律分散型社会だったといえます。各コミュニティが小さな母系制社会として安定していました。だからといって、孤立することはなく人やモノの交流は盛んで、各地の特産物や情報が交換されていました。

自然を尊重しながら深くつながっていた、平和な縄文時代。自律分散型社会は持続可能な社会の一つだと僕は思います。

コミュニティの規模が大きくなかったため、都市も王国も、マーケットも学校も作られませんでしたが、みなさんはどんな社会の在り方が理想ですか?

 

僕らは歴史の変わり目に立っています。

いまは化石燃料がメインエネルギーで、大量生産・大量消費です。僕らにとって、これは常識で、ずーっとこのままだという感覚を持ってしまいがちです。が、そもそもいまの持続不可能な在り方は産業革命から始まったせいぜい250年ぐらいの歴史です。縄文時代やこれまでの歴史と比べると、変化の小さな波の一つでしかありません。

僕としては、現状維持はナンセンスだし、縄文時代にそっくりそのまま戻りたくはありません。

これまでの文化や世界観からいいところを学び取って、新たな在り方を探ることがとても大切だと考えています。

 

すぐに答えが出るテーマではありませんが、考え続け、ブログでの発信も続けていきます。

みなさんはどんな社会の在り方がいいですか? 

縄文人に学ぶ (新潮新書)

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