自然観の違いが生む対立
美しい自然の景色を想像したとき、パッとどんなものが思い浮かびますか?
出典:http://cazual.tv/archives/16579
山や海、森、滝などいろいろな景色を思い浮かべるかと思います。
環境保護活動をしている人に何を守りたいかを聞いてみると、ある島の環境を守りたい、アマゾンの森林を守りたい、ある絶滅危惧種を守りたいなどの答えが返ってきました。
守りたい対象は人によって意外とバラつきがあります。
一口に環境保護といっても、ある特定の何かを守りたいということが多い気がしますね。何を守りたいかは人によって違います。
これは生まれ育った文化の自然観や最初に出会った美しい自然が何かといった原体験が影響しているかもしれません。
【文化による自然観の違いと対立】
ヨーロッパ式と日本式の庭を見ると、文化による自然観の違いがわかりやすく出ています。
左が西欧の庭、右が日本の庭です。見た感じの違いいかがでしょうか?
日本庭園と西欧庭園の違いは、自然に対する捉え方の違いと言われます。
日本では自然には勝てないという考えから自然との共存に敬意を示し、人工物が池や山の中に埋没し、人が自然を受け入れることで、四季のままに池泉回遊を楽しむという造形が生まれました。朽ちていくという自然の摂理さえも受け入れる自然観が、いわゆる、侘び・さびという日本独特の価値観となっているのです。
一方、西欧では、文明の力で自然に勝って支配するという感覚が強く、まるで人工物のような幾何学形状として自然の表現を変える、平面幾何学式庭園が好まれました。
時代によってヨーロッパでも日本的な庭、その逆パターンも出てきますが、根底には文化がもつ自然観があると思います。
自然観の違いが対立を生むこともあります。
2009年度アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した『The Cove』は、和歌山県太地町で行われているイルカ漁を描いています(作品自体はかなりヤラセや印象操作の痕跡があるので賛否両論ですが)。
(イルカ保護活動リーダーのリック・オバリー)
イルカ保護運動家がイルカ漁を批判する内容ですが、そこではイルカ漁は排除すべきものとして描かれています。かわいいイルカを殺し、水銀が含まれているイルカ肉を食べることは危険だからです。
一方で和歌山県は
イルカ漁は紀南地方の重要な産業であり、地域の伝統文化であるだけでなく、自然資源の科学的な管理および利用に基づいています。
太地町は、紀伊半島の東海岸に位置する人口約3,500人の小さな町です。経済活動の中心から遠く離れてはいますが、捕鯨の地として約400年の歴史があり、鯨やイルカを捕って、栄えてきた町であります。鯨やイルカは当地域の食文化になくてはならないものです。鯨やイルカに関する伝統的な文化行事が年中行われ、イルカ漁は地域経済に欠かせない産業となっています。
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イルカやクジラを知性ある友達と見るイルカ保護活動家と食文化の一部とみる太地町の文化は対立します。
どちらの考え方にも良い・悪いはありません。でも守りたいものが違う場合、価値観は対立します。
文化はその土地の生態系や気候、歴史などによって形成されるもの。文化はその土地の持続可能性の一つの形です。それが対立の原因になるのは、めちゃくちゃもったいないことだと思います。
地球を悪くする文化はありません。有害廃棄物を捨てることを良しとする文化はありませんよね?太地町のイルカ漁のように、環境汚染の進行に伴いイルカ肉が水銀汚染されているという議論は出てきますが、もともと文化はその土地での持続可能な在り方の一つです。イルカを取り尽くすようなこともありません。
対立を回避するには、お互いに理解しあうことが必要です。環境問題をめぐる対立だと、特にその土地の生態系や文化、習慣、気候などを理解しなければいけません。
せっかく環境保護をしようとしても、対立していては保護活動にリソースを割けません。こういった対立をどう克服するかは、正直まだわかりませんが必ず取り組まないといけないテーマです。
世界規模で複雑に絡まりあっている環境問題を解決するには、世界で協力が必要です。価値観の対立を克服し、土地ごとの多様さを調和させる考え方が重要になります。
今後、対立をどう回避・解決するかについても発信していきます。